ハロウィン・パーティ
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朝、2人で聖経を誦げていたら宅急便が──。
最近はネットで本も買っていないし、誰からだろうと思ったら実家の母。
山形産のラ・フランスでした。
まだ青いけれど、鼻を近づけるといい匂いが漂ってきます。
ありがとう!
果物は幸せの時限爆弾。
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インターネット講師の認定にあたり、このブログの内容を分割することにしました。
生長の家の書籍の感想や本部講師補としての活動など、宗教的なことについては、
「信仰ノオト http://sunny-lettuce.air-nifty.com/blog/」
に書いていきたいと思います。
というわけで、新ブログが軌道に乗るまで休止していたこのブログも再開。どうぞよろしくお願いいたします。
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ドキュメンタリー映画です。
私はドキュメンタリーが大変好きで、すべての映画はドキュメンタリーであるというのを持論にしていたこともありますが、最近のようにCGが盛んになるとあまり説得力はないようです。
それはさておき、ヤング@ハート。これは平均年齢80歳という合唱隊の名前です。歌うのはパンクロックにR&B……。実のところ老人たちが進んで歌っているのじゃなくて、プロデューサーが仕組んで歌わせているわけですが、だからといっていやいや歌っているわけでもない。
激しい旋律に当惑したり、歌詞が覚えられずプロデューサーにしごかれたりしながらも、歌うこと、そして生きることを心から楽しみ、誇りを持っている。そんな老人たちの表情のチャーミングなこと!
彼らを見ていると、人が年を取るということがとても素敵に思えてきます。
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それまでに見たすべての映画の中で『シェルブールの雨傘』が一番好きだと思っていた時期がありました。
この映画ははっきりと作り物です。歌で会話する人なんているわけありません。それなのにシーンの流れの一つ一つが何て美しくて心に迫ってくるのだろうと思います。私は映画は虚構であるという事実を隠さない映画が好きです。そういう映画は信用できるという気がします。
この映画はお洒落でリアルです。リアルの対義語は虚構ではありません。鈍感です。そして、この映画は映画を撮るよろこびにあふれています。
若き日の恋は愚行かも知れません。中には一生ひきずっていかねばならない愚行というものがあるかも知れません。
二人は幸せになりました(ジュヌヴィエーヴに関してはよくわかりませんが、私はおそらく幸せだろうと思います)。にもかかわらず胸がしめつけられる思いがするのは、その幸せが一つの恋の死を踏まえているからです。過去が人生から去ることはありません。
映画は残酷なこともあります。なぜなら人の記憶は薄れることもありますが、映画は忘れることをしないからです。でも、だから映画は美しい。私はそんな映画が好きです。
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るらちゃんが初めて漬けた梅干しが、朝ご飯についに登場。
どこに出しても恥ずかしくない、天下一品の梅干。
あまり外食はしないのだけれど、ラーメンが食べたくなってお昼はらあめん花月へ。
帰ってから、2人で中古で買ったDVD『チャーリーズ・エンジェル』を見る。
僕が「日本酒に会うおかずがいいな」と言ったので、夜はるらちゃんがさんまを焼いてくれた。秋である。
お酒は、戴き物の白鶴大吟醸。
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今日は、2年前にるらちゃんと僕が初めて出会った日である。
夕食はシーフードのスパゲティ。ビスケットとクリームチーズ。白ワインで乾杯。
由香里絵で買ったケーキでお祝いをする。るらちゃんはチョコ系、僕はフルーツのムース。
この店は味が濃厚で、こういう特別な日には合うような気がする。
ちなみに、ちょっとケーキが食べたいなというときはシャトレーゼがいい。偏見だけど。
出会いのきっかけは、僕が仕事でるらちゃんを取材しに行ったこと。
るらちゃんがそのときの僕の印象などを話してくれて、とても懐かしかった。
楽しい記念日は多いほうがいいと思う。
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午後から晴れたので、河辺駅前の温泉〈梅の湯〉に行く。
小さいが、いろんな設備があってうれしい。サウナも高温と低温と2種類ある。るらちゃんによると、化粧品も充実しているそうだ。
初体験したのが「寝ころび湯」。はじめて来たとき無視したら、後でるらちゃんが「よかったよ~」と言うので入ってみた。
浅い流湯に背中をひたして寝ころぶ。露天なので、雲が空を動いていくのが見える。ちょっと予想していなかった心地よさである。
野菜たっぷりの皿うどんと塩辛をのせたじゃがいもで夕食。
レンタルDVDで『僕の彼女はサイボーグ』を見る。
劇場で『ICHI』を観て以来、るらちゃんのお気に入りの綾瀬はるか主演。サイボーグ彼女との日常生活を描いたシークエンスが楽しい。
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宗教は、人間にとって最も自然な存在様式なのだと思う。よくいわれることだが、何かを信じていない人間はいない。自己の欲望だろうと、科学だろうと、道徳だろうと、必ず何かは信じている。だから、問題は信じるか信じないかではなく、何をどう信じるかなのだ。宗教は、人間にとって根本的な信念自体を整序する。整序することへの抵抗感は、“神の見えざる手”を信じていることだともいえる。
欲望には満足がなく、科学には意味がなく、道徳には保証がない。あると考えるのは、そう刷り込まれているに過ぎない。人間はまず例外なく、幼少時からの“刷り込み”に支配されている。“刷り込み”を自分自身と認識し、現実そのものと信じて生活している。
しかし、ときに“刷り込み”を超越して“絶対”に――すなわち人間が生きている原事実に到達する、いやそれぞれの条件のもとに幾分なりとも近づく人がいる。それが、道をひらく人なのだろうと思う。
宗教には、無数のトラップがある。それでも、僕は宗教が好きである。生きる意味を全包容的に探求する方法は、ここでしか見出せないのではないかと思う。
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副題は、「非キリスト教徒のための神学入門」。
カール・バルトの、自分固有の仕事に集中しているときに神学者は最も多くの他人の関心を惹くことができる、という信念を僕は共感とともに愛するが、この本の著者が『世界』にも『正論』にも原稿を書いて自分の中のインテグリティが崩れないのは、キリスト教の信仰を「キリスト教徒でない人に分かる言語と論理で説明しているという、非常に単純なこと」をやっているからという姿勢は大切だと思う。それは、もちろん著者が紹介しているフロマートカの「フィールドはこの世界だ」という言葉に通じている。異なる世界に声を響かせるにはセンスの良さと技術的な修練が必要だろう。
われわれは「この世界」に住んでいるわけではない(「吾が国は此の世の国にあらず」)。が、われわれとは実は全人類のことである。聖書には、選ばれない者については何も書かれていないという話がp.60に登場するが、選ばれない者など本来存在しないのだと思う。
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